天国の勇ちゃんへ

わずか17日と言う闘病の果て、旅立ってしまった彼へのメッセージと、自分の想いを綴ります。

あの方の。

昨日、目にした、訃報。
「こじらせ女子」の作家の雨宮さん。


40才で死にたいと語っていた、彼女は本当に、40歳で逝ってしまったそうだ。
自殺ではなく、事故。。。って事になってたけど、真相はわからない。。。


彼女の「死にたくなる夜のこと」コレを、見た時に、何となく共感。
は。したんだよな。。。。
 
 死にたくなる夜というのが、やってくる。たいていはその度に、薬を飲んで、寝ようとして、 
 眠れなかったり、でも他のことでは気を散らすことができなかったり、
 朝日がのぼるまでの時間を、苦しいまま過ごすことになる。
  「死んでもいいですか?」と、誰かに訊きたくなる。
  否定してほしいわけじゃない。死んじゃダメだと言われたいわけじゃない。心配なんか、かけたくない。
  でも、その言葉は甘えだと、よくわかっている。


 死んでもなにも起こらない。
  あとに残された人がいろいろ面倒だろうから、申し訳ないだけで。
  それでも、この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、
  ベランダからじっと地面を見つめる時がある。
 冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる。
 死んだら、みんな、「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。
  「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」
 
 そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、


 どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。
 時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。
  経験でわかっていても、人の心は、なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう。
 
 「この先の景色を見たい」という気持ちが、わたしにはない。
 
 いつも、ずっと、一度もない。
  「この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる」と思ったことは、一度だけある。
 
 誰かと出会ったり、ものすごい才能を見たり、ひどいものに触れたり、そういうことがある度にまた、


 あの冷たい手すりを握りしめて、「もうここまででいい」と思うんだろう。
  いつも、手すりから引き返した日常を生きている。普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。
  そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。
  手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。
  たまらなくそう思うときがある。
 
 感情が、すこし、過多なのだろう。
 
 明日が、強烈な一日であるように。
  「これでいいんだ」と思えるような決断ができるように。
  引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように。
 
 夜が過ぎるのを待つ。


感情が、少し過多なのだろう。。。。
同年代だからって言うのもあったし、この状況になってからの私の気持ちは、
いつだって平穏。な訳でもなく。
だからこそ、共感?したような事も多かった。


昨日の激務を終えて、家に帰り、何もする気にもなれず、ただただ抜け殻で
いた時、亡くなった 父親の事も考えた。
私の父は、生前ずっと「人生50迄」そう言っていたそうだ。
母に聞けば、父は織田信長の生き様が大好きだったそうで、その中での一句?
にこんな様なくだりがあって。。。と言っていたけど、この父も、本当に50歳で
逝ってしまった。


前から記してもいるけど、【言霊】言葉には魂が宿るって。。。
自分の人生、いつ!迄。と、ずっとずっと願って、言葉にしていたら、本当に
魂は宿ってくれるのか?????


私は決して、「死にたい」人ではない。
以前もブログが荒れたけど、結果同じ事でしょ。。。と言われたとて、ただ、
私は1日も早く、貴男。勇ちゃんに逢いたい。だけ。その日を待ち詫びているだけだ。
それが、人生の目標?最終地点。になってしまったのは、もう仕方がナイ事だし、
ただただただただ、逢いたい。だけ。なのです。

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