あの方の。
昨日、目にした、訃報。
「こじらせ女子」の作家の雨宮さん。
40才で死にたいと語っていた、彼女は本当に、40歳で逝ってしまったそうだ。
自殺ではなく、事故。。。って事になってたけど、真相はわからない。。。
彼女の「死にたくなる夜のこと」コレを、見た時に、何となく共感。
は。したんだよな。。。。
死にたくなる夜というのが、やってくる。たいていはその度に、薬を飲んで、寝ようとして、
眠れなかったり、でも他のことでは気を散らすことができなかったり、
朝日がのぼるまでの時間を、苦しいまま過ごすことになる。
「死んでもいいですか?」と、誰かに訊きたくなる。
否定してほしいわけじゃない。死んじゃダメだと言われたいわけじゃない。心配なんか、かけたくない。
でも、その言葉は甘えだと、よくわかっている。
死んでもなにも起こらない。
あとに残された人がいろいろ面倒だろうから、申し訳ないだけで。
それでも、この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、
ベランダからじっと地面を見つめる時がある。
冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる。
死んだら、みんな、「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。
「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」
そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、
どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。
時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。
経験でわかっていても、人の心は、なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう。
「この先の景色を見たい」という気持ちが、わたしにはない。
いつも、ずっと、一度もない。
「この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる」と思ったことは、一度だけある。
誰かと出会ったり、ものすごい才能を見たり、ひどいものに触れたり、そういうことがある度にまた、
あの冷たい手すりを握りしめて、「もうここまででいい」と思うんだろう。
いつも、手すりから引き返した日常を生きている。普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。
そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。
手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。
たまらなくそう思うときがある。
感情が、すこし、過多なのだろう。
明日が、強烈な一日であるように。
「これでいいんだ」と思えるような決断ができるように。
引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように。
夜が過ぎるのを待つ。
感情が、少し過多なのだろう。。。。
同年代だからって言うのもあったし、この状況になってからの私の気持ちは、
いつだって平穏。な訳でもなく。
だからこそ、共感?したような事も多かった。
昨日の激務を終えて、家に帰り、何もする気にもなれず、ただただ抜け殻で
いた時、亡くなった 父親の事も考えた。
私の父は、生前ずっと「人生50迄」そう言っていたそうだ。
母に聞けば、父は織田信長の生き様が大好きだったそうで、その中での一句?
にこんな様なくだりがあって。。。と言っていたけど、この父も、本当に50歳で
逝ってしまった。
前から記してもいるけど、【言霊】言葉には魂が宿るって。。。
自分の人生、いつ!迄。と、ずっとずっと願って、言葉にしていたら、本当に
魂は宿ってくれるのか?????
私は決して、「死にたい」人ではない。
以前もブログが荒れたけど、結果同じ事でしょ。。。と言われたとて、ただ、
私は1日も早く、貴男。勇ちゃんに逢いたい。だけ。その日を待ち詫びているだけだ。
それが、人生の目標?最終地点。になってしまったのは、もう仕方がナイ事だし、
ただただただただ、逢いたい。だけ。なのです。